心も体も豊かになって 元気でいこう!
2013年04月01日 から 2013年04月30日 まで の検索結果

東北行 Vol.29

すみません。

14日(日)の晩は、実家に帰れない私とポッポちゃんで東京泊りです。

で、JR神田駅近くのホテルにチェックインし、24時30分くらいかたらだったか二人で遅い夕食に出かけました。

すぐ近くの炉端焼き店に入りました。

二人でいろいろと話をしました。

1枚の皿に盛り合わせで出てきた刺身を二人で、あーだこーだと言いながら突っついて食べました。

とてもいい思い出になりました。

 

明けて翌朝(15日、月曜日)、セントラルホテルをチェックアウトして帰路に着きました。ここって、いくらだと思いますか?1泊素泊まりで3,500円でした。私が『JRおでかけネット』で調べて事前に予約していたんです。お風呂とトイレが共同なので、不便そうに聞こえますが、部屋は広いし全然OKでした。

ちなみにポッポちゃんと一緒にチェックアウトするつもりでしたが、体調がすぐれないとのことで、私一人で出発しました。

 

 

JR東京駅の新幹線乗り場への道すがら、東北産のお土産屋台があり、ついつい情にほだされて買っちゃいました。

鯨の缶詰、サバの味噌煮と水煮等、東北からの帰りなので余計に感ずるところもありいっぱい買いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご覧のように14時30分東京発ののぞみ41号博多行の新幹線で一路岡山まで帰りました。

 

日本が世界の誇る日本一の山である富士山を見るため、わざわざ北側の窓際の席を取ってもらってたのに、東京駅近くでの昼食(ラーメン屋)で生中を一杯ひっかけてて、で、東京駅新幹線乗り場前の待合室で出発前に500mℓの缶ビールをきゅーーーーーっと飲んでたので、うっかり(しっかり)寝てしまってて気が付いたら名古屋付近でしてせっかく写真を撮ろうと待ってたのですが残念です。 

 

今回の東京行では、たくさんの出会いと感動と感謝と体験ができました。

縁あって出会った宗道臣塾のメンバーに感謝!!

 

 

これからも少林寺拳法を大事に、法縁ある仲間を大切に日々修行に励んでいきたいです。

 

私にいい影響を与えてくださった、そしてかかわっていただいたすべての皆さまに、心から感謝申しあげます。 

ありがとうございました。

2013年04月22日 00:00

東北行 Vol.28

タメケンとバニ~が交代しながら東京に着きました。

JR神田駅にて再会を誓いながらお別れしました。

私とポッポさんは、今夜も東京に泊まりました。

 

写真は、最後の最後にあったハプニングです。

タメケンの手の先には畠山先生からいただいた少林寺拳法復興支援グループのシンボルステッカーが貼られてます。

 

宗 道臣塾 第2期生 有志のみなさんへ

貴重な体験といい出会い、そして心に残るたくさんの思い出をありがとうございました。

またこの7月には、ポッポさんの幹事で同窓会が開催されると思いますが、その時までお互いに元気でいたいものです。

総合プロデュースであるタメケン、お疲れさまでした。フォローのバニ~、お疲れさまでした。

それでは、ポッポさんの地元である宮崎市での再開に思いをはせ、今回の旅を締めたいと思います。

皆みんな、本当にありがとうございました。

2013年04月20日 00:00

東北行 Vol.27

門脇小学校の玄関です。

着いた頃はご覧のように日も暮れて露出が合わなくてうまく撮れてませんが、復興を願う横断幕、見えますでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

津波による洪水だけではなく、ここでは火災による2次被害がありました。

ひん曲がった屋根とか見れば、当時のすごさが想像できますよね。

これで、もう2年が経ったんです。多くの子どもたちの歓声が聞こえるはずの小学校が今もこの惨状です。

この小学校から坂を上って数十メートルの所にある日和幼稚園の門です。 

震災当日、 ここの通園バスが園児を乗せて一旦門脇小学校に着き、」そこでそばの階段を数十段駆け上がれば幼稚園に戻れるのにそのまま

バスに乗って園に帰る途中、渋滞に巻き込まれて、そのうち濁流に流され瓦礫の下に埋もれ、どこからか上がった火の手に包まれて、結局全員焼死したのでした。
園の付添職員と5人の尊い命がここで終わったのです。

何かせつなくて、やりきれない気持ちがこみ上げてきて、何とも言えない心境でした。

 

わかるでしょうか。

すぐ近くに地元の方々が、更地に偲んで作られた鎮魂碑には、「がんばろう!石巻」と書かれていました。

それより何より、地面に書かれた「絶対復興するぞ!」の文字が心に響きました。

 じっとその碑を見ていると自然に涙が出てきました。

子を持つ一人の親として、子の無念さは何なんだろうって思いました。

 

 

遠く離れた岡山(津山)の地で、この現実をしっかり伝えていくことと人を慈しむ心を決して忘れないことは、私に課せられた重大な使命のように思いました。

改めて、亡くなられた方々や今だ行方不明の皆さまに対し、こころからご冥福をお祈り申しあげます。

2013年04月20日 00:00

東北行 Vol.26

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石巻市の大川小学校に寄りました。

ここでは、目の前の橋の上に避難した者と裏山に避難した者との差で生死を分けた現実があります。

 

この現実を見た私たちは、その場にただじっと立ちつくし、誰もしばらく動けませんでした。で、こんな光景をバックに写真なんて亡くなった方々に失礼で撮れませんでした。

そこを去る時みんなで合掌、ご冥福をお祈りしました。 

2013年04月20日 00:00

東北行 Vol.25

陸前高田を出て、ずーっとやってきて14時を過ぎてて、気仙沼まで来て先のタンカーを見て、遅い昼食を摂ろうということで、同じお金を使うのならコンビニなんかじゃなく、地元の皆さんに協力しようと仮設の建物で営業されてるお店に入りました。

 

写真のヨッシーとバニ~が持ってるものって、何かわかりますか?

 

正解は、「鮫の心臓」です。いらん世話ですがご覧の1パック、これで500円です。ここの店の大将がお隣の魚屋さんと懇意でもって、わざわざ話して分けていただいてこの店内でみんなで食べさせていただきました。

左から、マッキー、私、タメケン、ポッポの面々です。

ポッポちゃんが体調を崩して、いささかグロッキー気味でしたがバニ~とタメケンが介護士としてフォローしてくれて何とか元気になってくれました。

私が手にしてるものって、また何かわかりますか??

 これは、地元で言うところの「ハーモニカ」だそうです。

どういった部位か聞いたんですがメモを取ってないので今となってはわかりません。大将、一生懸命説明してくだっさったのに忘れてしまってすみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

震災前はお豆腐屋さんを経営されてたという大将。

お客様の注文を暖簾の向こうの厨房に向かってオーダーするだけ。で、自分はテレビの競馬を見ながら一喜一憂するヘンな人です。でもトークの技は超一流、一見さんの私たちを飽きさせませんでした。店や工場を失くされてもくじけずにこんなに明るく、訪れたお客様を楽しませることができる素晴らしい大将に感謝。 

2013年04月20日 00:00

東北行 Vol.24

気仙沼に着きました。

これまでにも、道中、たくさんの惨状地帯を見てきました。

 

これは、有名な事実ですが、約3Km先の港に係留していた大型タンカーがあの津波の勢いに乗せられてここまで「持って来られた」ものです。

見た衝撃は、その大きさというか迫力に圧倒されると同時に、言い尽くされた言葉ですが、自然の力に対しては、我々人間の力ってホント大したことないなって、そら恐ろしくなってきました。

ヨッシー、私、タメケンの3人です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、タンカーから言うところの右舷側の写真ですが、廻って左舷側にも残骸がありました。多分、スズキエブリイワゴンだと思います。この小さな軽四ワゴンの真上からでかい船が落ちてきたようで、屋根から真っ二つに左右につぶされたのがわかります。

まさか、この中に運転手というか人が乗ってたのではないでしょうねえ、逃げてくれてるんですよね・・・・・・。 

とにかく、これが現実です。

2013年04月20日 00:00

東北行 Vol.23

帰りがけに通りすがりに松の見える道を通りました。

周りを足場に囲まれて、、、、、。

 

本物の松は枯死してしまったようですが、幹の中にコンクリを入れてモニュメントとして再生するらしいですね。

震災を受け、甚大な被害をこうむった陸前高田のシンボルとして後世まで事実を伝えていってほしいものですね。

2013年04月20日 00:00

東北行 Vol.22

今日中に東京まで帰らなくてはならない私たちの事情で、お昼までの作業で今回の支援は終わりにさせていただきました。

畠山先生の計らいで、最後にちゃんと汗を流して帰ってとのことで、近くの温泉に案内していただきました。

お風呂場から、眼下に今は何事もなかったように凪の太平洋の波を見ながら今回は私も入浴しましたが、とっても気持ちの良いお風呂(温泉)でした。埼玉入間道院の皆さんや畠山先生のお兄様は、私たちがお風呂から上がってくるまで待っててくださり恐縮しました。自分たちはこれからまだ他の作業があるからと言って待ってていただきました。心憎いまでのお心遣いに本当に申し訳なく、感謝・感謝の連続です。

 

頭上には、たくさんの鯉のぼりが泳いでいました。

2日間ともとてもいい天気に恵まれて、貴重な体験・いい出会いができました。

最後はお互いに手を振りながらお別れをしました。

 

畠山先生、体調があまりすぐれないにもかかわらずずっとお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

くれぐれもご自愛ください。 

2013年04月20日 00:00

東北行 Vol.21

漁業支援をさせていただきました。

「めかぶ」の整理をしています。宗道臣塾第2期生、橋本さんです。

後ろは、埼玉入間道院の女性拳士の同僚の「ミポリン」です。

そのうち、感化されて入門してくれたらうれしいですね。

 

 

 

 

 

ワカメを90度のお湯で数分湯がいて即、冷水(海水)でシメて、引き上げて塩漬けするんですが、作業中は、話もせずただ黙々と作業しました。これは、作業が済んでからの写真です。手に持った二股の木でもって水槽内のワカメを上手に掬って袋詰めしました。結構な量をしましたが、漁師さん曰く、明日が出荷日で午後からその作業があるので今日はこれで終わるけど、普段はこの量の倍以上は収穫するんですよと言われ、びっくりでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほとんどの家庭が家内工業(マニファクチャー)で、どこも後継者がいなくなってきてて、結構厳しいんですよとは、おにぎりやリンゴを差し入れていただいた奥さまのお話でした。

私たちのやったことといったら、ほんの数時間の短い時間、ちょこっとお手伝いさせていただいただけです。

でも、本当に皆さんに喜んでいただき、心洗われました。

タメケン曰く、「ワカメがこんな大変な作業を経てできてるのがわかり、これからは大事に食べさせていただきます」。私も含めて、ホント本音です。

漁師さんは、これだけ一杯作って、買い上げ価格はほんのちょっとなんだよね。仲買人がああだこうだと注文つけて安く買い叩いて大量に持って帰るんですよとおっしゃってました。どの産業も末端から言えば間に人の手が入ることによってどんどん値が上がっていく様は一緒なんだなと改めて思いました。 

2013年04月20日 00:00

東北行 Vol.20

漁港まで行く道中の車中から見た有名な『奇跡の一本松』です。

手前の風景もひどいでしょ。

何か建物が立ってたような。。。。。。。感じがするだけの景色です。

ほんと、周りにその残骸すらなく、過去に何があったか想像もできない惨状です。

2013年04月19日 17:00