3月24日(金)から3日間、善通寺市民体育館(香川県善通寺市金蔵寺町)において、『少林寺拳法創始70周年記念 第20回全国高等学校少林寺拳法選抜大会』が開催され、我が団から既報のとおり、河本さんと岸部さんが女子自由組演武の部に岡山県代表として出場するというので、みんなで行って来ました。
で、開会式が午後からだったので、岸部さんにご無理をお願いし、ずっとずっと行きたかった所へ連れて行っていただきました。
徳島県立池田高校(徳島県三好氏池田町ウエノ)です。もう亡くなられて随分経ちますが、硬式野球部の元監督で“阿波の攻めダルマ”と呼ばれてすっごく有名だった故 蔦文也先生の記念碑が校庭に立っているので見に行きたかったのでした。事務所に事前に連絡していましたのですが、わざわざ資料館にも案内してくださり、直筆の掛け軸とか往年のお写真、レプリカ等々、貴重な資料を拝見させていただきました。
そして、私がこの団を設立した時に目標にしたのが、蔦先生の口癖だったこの言葉です。
「山あいの町の子供たちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」
旧 勝北町に縁あって独立させていただき自分の道場を持った時、私を含めて8名で発足した「勝北町スポーツ少年団(当時の名称)」ですが、なぜか私は蔦 元監督のこの言葉が頭にありました。片田舎の白帯ばっかのちっちゃい道場だけど、いつかきっと大海(全国大会)に出られるような道場にしたい とマジで思ったものでした。
平成の大合併で町名はなくなりましたが、少林寺拳法連盟本部にお願いして私の唯一の拘りである「勝北(しょうぼく)」の名を残していただき、現在があるのですが、お蔭さまで中学生大会や高校生大会や本全国大会にもなんとか出られるようになりました。今更ながら、碑の前で蔦先生に感謝させていただきました。
・・・・・・長年の夢が叶いました・・・・・・・・。
土曜日(18日)の練習日に、届いていたゼッケンを渡しました。
また、我が団の母集団(父母の会@)から2人に激励金が手渡されました。
福田会長さんからお言葉をいただき、本人たちからお礼と決意を述べさせていただきました。
ゼッケンとか、本来はこうやって「見せびらかす」ものでないことは重々承知していますが、我が団では敢えてみんなの前で紹介しています。
岡山県の、また、学校を代表して全国の舞台に出ていくわけです。
出たくて出たくて仕方がないんだけど出られなかった拳士が大勢ることを心に留め置き、自信と誇りをもってしっかり準備し、本番では、結果を恐れず最高のパフォーマンスを発揮してほしいです。
道場の子どもたちには、陰ながらしっかり応援してくれたらうれしいですね。
うどん、400食を完売しました。
拳士たちもアリーナの中で、頑張ってくれました。
特に、原兄妹は、白帯軍団だけの演武に出場して、指揮はうちの岸部くんが執ってくれたそうです。
・・・・・・・・・・・・・うれしいです。
私が屋台村に付きっきりだったので、中の様子が全く分からず写真も撮ってなくて申し訳なく思ってます。
焼きそばも400食、豚汁は800人前を用意しましたが、どれも完売しました。
保護者の皆さまには最後の片づけまでお手伝いいただき、感謝です。
お疲れさまでした。
3月5日(日曜日)、心配されてた天気も上々で、津山総合体育館(津山市山北)において、毎年恒例の武道祭が開催されました。今年は20周年ということで、お昼を挟んでみんなでゆっくり楽しんでもらおうとの趣旨で屋台村を出しました。
私たち少林寺拳法連盟が、その大役を仰せつかりまして、空手道連盟さんと合同で頑張りました。
我が団は、うどんを担当しました。
なお、詳細については『津山武道学園』のHPにアップしてますので、そちらをご覧ください。
平田くんです。
この春から中学生になります。
いよいよ、念願の「黒帯」に手が届くところまできました。
自分のことだけを考えるのではなく、教えのとおり他人(ひと)のことも考えられる幅の広い人間になってくれたらうれしいです。
平田さんです。
同じクラスには女の子がいなくて寂しいようです。
念願の緑帯を締めることができました。いろんな大会にも積極的に挑戦してくれたらうれしいです。
他人(ひと)の気持ちがわかる優しい先輩になってほしいですね。