東北行 Vol.20

漁港まで行く道中の車中から見た有名な『奇跡の一本松』です。
手前の風景もひどいでしょ。
何か建物が立ってたような。。。。。。。感じがするだけの景色です。
ほんと、周りにその残骸すらなく、過去に何があったか想像もできない惨状です。
漁港まで行く道中の車中から見た有名な『奇跡の一本松』です。
手前の風景もひどいでしょ。
何か建物が立ってたような。。。。。。。感じがするだけの景色です。
ほんと、周りにその残骸すらなく、過去に何があったか想像もできない惨状です。
明けて14日(日)朝、6時出発との約束で先生方もいらっしゃいました。
泊まらせていただいた「第3部落会館」の前でメンバーで撮りました。
前列左から、ミポリン、埼玉入間道院の拳士の方、ヨッシー、私、バニ~。
後列左から、ポッポ、マッキー、畠山先生、そのお兄様、タメケン。
陸高へボランティアに来られた方々をお世話されてる拠点です。
各地から、今も多くの方々がお手伝いに来られてました。
今日は、拠点の担当者と畠山先生との話し合いで、私たちは午前中、漁業作業の支援をさせていただくことになってました。
畠山先生つながりで今回お世話になった第3部落会館にあった黒板に、せめてお礼をと思い版書しておきました。
本日の夜、部落の会合があるとかお聞きしましたので、見ていただけたらうれしいですね。
一宿一飯のお礼ですが、思い出に残る一夜でした。
私は酔っ払ってて、最後に〝津山ホルモンうどん〟も作ったらしいのですが、正直覚えてません。仲間が曰く、うどんもおいしかったよとのことでした。めでたし、めでたし・・・・・・・・・・・・。
何やら、夜の夜中にひと騒動あったそうな。
聞くところによると、ポッポが一時期行方不明になってしまったらしく、バニ~とタメケンが心配して必死に探し回ったそうです。本人は、ただ、 大 がしたくて、水洗トイレに行ってた(少し離れた別の建物にある)そうで、スッキリした顔をして帰ってきて、みんながバタバタしてるのを見て一言、「どげんしたと?」相変わらずのポッポちゃん節でした。
私のこだわりである「カシワ肉(親鶏)」がなかったので、しかたなく「モモ肉」にしましたが、数年前のB級グルメで見事金賞(優勝)を獲り一躍有名になった岡山県真庭市(蒜山地方)の〝蒜山焼きそば〟を作りました。
キャベツと玉ねぎ、人参とあとは秘密の?と?で味付け、最後は?でシメて絡めて出来上がり。
大きなフライパンにあるのが 〝蒜山焼きそば〟です。
また、皿に盛ってるのがカンタン料理のもやしとウィンナーのサラダです。うえには、新鮮なキザミきゅうりを乗せました。
マヨネーズでもよし、ポン酢でもよし、お好きな調味料で召し上がれ。
セルフタイマーで撮った今回のメンバー全員の集合写真です。
バニ~、ポッポ、マッキー、タメケン、私、ヨッシーの6人です。
私が持ってるのは、バニ~が持参したJR赤羽駅でしか売ってない
オリジナル酒でその名も「アカバネ」。売店の売り子さんに「私は赤羽言います」って名前を言ったらめちゃ受けたらしいです。フルーティでなかなか口当たりのいいお酒でした。
みんなで廻し飲みしたら、あっという間に空になっちゃいました。
テーブルの上には、いろんなビンが並んでますが、これは、少林寺拳法ボランティア隊の皆さんが会議して(飲まれて)残されたもの(飲み残し)です。なので、私たちは、その残りあるものを「やっつけて」、新しく何本か買ってきているのをキープして帰ることにしました。
そうやって、行動も焼酎も 繋がって いくのであった。。。。。。。チャンチャン。
畠山先生と別れて、みんなで紹介していただいたお風呂に行きました。山をクネクネあがっていき、その先にこんなことろにあったんだ みたいな温泉がありました。私たちのようなボランティアグループが何組か宿泊してたようです。私は、これから買出しして、夕食を作らなければならないので湯冷めして風邪でもひいたらいけないし、入りませんでしたが他の5人はゆったりのんびり汗を流して身体を洗って足をのばしてリラックスしたようです。
スッキリした顔の面々です。
左からポッポ、マッキー、タメケン、私、ヨッシーです。
JR陸前高田駅前のメイン通りです。
駅に降り立ったら、まっすぐ道路が延びてて周りにはいっぱい商店やらビルが立ち並んでいたのです。
さぞや賑やかだったことでしょう。見てのとおり何にもありません。街ひとつ消えたっていう表現が正しいのかもしれません。写真はありませんが、駅のホーム・・・・だった場所に立ってこの風景を見た時は言葉が見つかりませんでした。
「想像を絶する」とはこのことかと実感しました。
ここは忘れてはならない、2011年3月11日、未曾有の大災害を引き起こした「東日本大震災」の実際の被災現場です。
ご覧のようにあたり一面、何もないです。震災当初は瓦礫の山だったそうです。画面の左後方にNTTの建物がありますが、NTTの庁舎って、基礎が半端じゃないんです。なので、震災に遭ってもびくともしませんでしたが、窓とかは全部破壊されたようです。
また、右の方に見えるのが、ある会社のビルだそうで、社長さんは、屋上の突き出た箇所につかまっててかろうじて助かったそうです。見えるかどうかわかりませんが、青い色を塗った線があるのですが、当日はその線まで水(濁流)が来たそうです。ちなみにその社長さんのご家族は、近くの避難場所にちゃんと避難してたんですが、その避難所自体が建物ごと流されてしまって、亡くなられたそうです。市の再開発構想では、くだんの建物を取り壊したいとの意向だそうですが、その社長さん曰く「私財を投げ打ってでも、残してほしい。絶対に忘れてはいけない。この事実を後世まで伝えたい」と陸前高田市に掛け合っておられるそうです。
ぼちぼち日も暮れてきたのでおしまいにしようとのことで、最後にみんなで集合写真を撮りました。
ハードな作業でしたが、いい意味で満足感でいっぱいです。またみんな、とてもいい顔をしています。
全体から見ると大したことないかもしれませんが、ほんの少しでもお役に立てたんじゃないかなと自己満足した私でした。
腹ごしらえが済んで、いよいよエンジン全開です。みんなで階段作りに精を出しています。付近の雑木をチェーンソーでぶった切って階段の淵を作ったり、小木は等間隔に切って、削って杭にしたり・・・・・。ちなみに私は、写ってませんがチェーンソー係りでした。ちゃんと作業してますから・・・・・・(笑)。
写真でもおわかりのとおり、「ヤルキタウン」の入り口です。
前列左端に移っているのが、その代表者の熊谷さんです。畠山先生のお知り合いです。
なんでも、茨城の方に出てたのを仕事を辞めて帰省し、ご実家の裏山や土地を提供し、みんなで集える場所、空間を作りたいとがんばっておられます。広場には、様々な建物を建てて、産直の売店とか、カフェとかビデオショップとかすでにオープンしてて、魚屋さんもやりたい、ちょっとした居酒屋もやりたいとご自身の夢を熱く語ってくださいました。
その熱意には、本当に頭が下がりました。
何かお手伝いできればいいなと思っています。